コミュニケーションデザインのプロフェッショナルを目指す私としては、現状(会社におけるマーケティング機能のプライオリティの低さ)について非常に苦々しく思っていると同時に、効果を定量的に示せない自らに対する不甲斐なさをそれ以上に強く感じている。
その昔、とある広告の効果について問われ、部門のトップに明確に説明できなかったために、その広告がストップした。すると、お問い合わせも減少した。つまり逆説的に効果が証明されたわけである。それ以降、その広告については承認がスムーズになったが、定量効果の証明はより複雑性を増している。
とはいえ、ひねくれた考え方をすると、「あること」の大切さや重要性を説明するよりも、「ないこと」「なくすこと」で逆説的に証明するしか、聞く耳を持たない人には有効なのではないかと考えてしまう。
企業の不祥事なども同様で、事故や事件が起こると、今までにないようなスピードで対応する。信頼や安全を失うことで、やっとその重要性に気付く、もしくは注意を払うようになる。しかし、何かが起こってからでは、コストの掛かり方が全く違う。たとえば、先の広告の効果について言えば、お問い合わせ数が回復するまで広告再開後しばらく時間がかかった。
問題が起こって何かを失ってから動く(動かす)のを「喪失マーケティング」とでも呼ぶならば、この喪失マーケティングが氾濫していることに改めて気付く。
情報システム系の広告も、まさに喪失マーケティング。「内部統制しないと大変ですよ!」とか「セキュリティ対策しないとヤバイですよ!」のオンパレード。ここから変えないといけないんじゃないだろうかと常々思っている。(自戒の念もこめて)

失うことの重要性 (宋文洲の傍目八目):NBonline(日経ビジネス オンライン)

恐れながらもチャレンジする人は、必ず何かを失うのです。失う淋しさと悔やしさが、その人を強くしていくのです。生存力が強く、心が豊かな人生は、間違いなく多くの失う経験を積んだ人生です。