最後は石巻市案内人の永沼さんのお話を訊きながら、石巻産業港へ。

ここには大きな製紙工場もあったが津波によって大きな被害を受けた地域。

ここに街があったなんて嘘みたいに何もない。震災から半年近く経って、雑草が茂り始めたせいもあるけど、本当に何もない。すべて津波が流していったことがリアルに感じられた。

奥のほうに見えるのは小学校の校舎。津波で押し流された自動車が校舎で炎上したせいで建物は黒く焦げていた。この学校は廃校になった。

慰霊碑で手を合わせた。この地域で津波に飲まれた人は、川に押し流され、そのまま海に引く波で流されたらしく、ご遺体が見つかっていない方も多いらしい。被害に会われた方の大半は、一度は避難したけど大きな津波が来なかったので自宅に帰られたりした時に、巨大な第三波が来てしまったらしい。

仙台湾(石巻湾)は産業の発展を優先したために、海洋汚染が進み、海底にはヘドロが堆積したという。今回の津波で石巻は、陸にヘドロがもっとも多く流されてきた地域らしい。人間の仕業によって海に蓄積したヘドロは、自然の力によって人間に返された。しかし、今回の津波によって仙台湾のヘドロは減少し、海がいくらか綺麗になったと仰っていた。皮肉というか、因果というか、何ていったら良いのか分からない。

あと、気になったのは、石巻で今、もっとも繁盛しているのは「居酒屋」と「パチンコ」という。いくばくかの見舞金が被災者の方に支払われたが、仕事もなく、やることがない。そこで、パチンコと居酒屋に行くということらしい。それ自体をとやかく言うものではないけれど、やはり切ない。これからの復興は地域に入って何か作業をするというだけではなく、自立するためのキッカケ作りなんだろう。ボランティアの次はビジネス。ビジネスといっても被災者に支払われる見舞金をターゲットにしたものではなくて、生活の基本機能としてのビジネス。そのためのコミュニティ作り。

ボランティアメンバーの一人が言っていた「この街にはクリエイティブが溢れてる。」何もかもなくなったけど、残っているモノがあって、あとは創り上げていくのみ。現地の人からもその気概というか、気合を感じた旅だった。

ちなみに石巻はマンガの街ということで石ノ森萬画館(現在は休館中)というのがあったりする。

駅舎もこんな感じ。

駅前のとおりにはこんなのが立ってたりする。