元気トリップは新宿から高速バスに乗り、女川町へ。そして女川町立病院に到着。


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そこで女川町案内人の「かおるさん」と合流。女川生まれ61歳のパワフルじいちゃん。震災当日は、石巻まで退避して津波から逃れたとのこと。

すこし高台にある病院から眼下を見下ろすとひっくり返った鉄筋ビル。このビルは、避難場所ともなっていて、13名ほどが非難したとのこと。そのうち1名だけ向こうに見える半島まで流れ着いて助かったという。マニュアル通りに行動(避難)しても、助からなかった。なんとも言いがたい。

ちなみに、一帯は地盤沈下したために、満潮時には冠水する。ここに見えている道路は嵩上げしているという。ここに元通り住むということはできない。

でっかい鉄筋ビルがひっくり返ったり、ほとんどの建物が津波で流されたりしたのに、なぜか流されずに残った公共トイレ。かおるさんたちが命を繋いだのは奥に見える山の林。

津波はその手前まで来たらしい。変色している木は塩水に浸かってしまった木。

なんとか生き延びれたのはまさにこの林のおかげという。川の水があり、薪がある。地域の人たちの生活を支えたのはこの林だった。だからこそ、かおるさんは都会が心配と仰っていた。96歳のかおるさんのお母さんはこの避難生活を「昔の生活に戻ればいい」と話していたというが、都会では簡単なことではない。生きる術を普段から考えておかないといけないよ、と話してくれた。

塩に浸かった土でも、ひまわりは元気に咲いていた。ひまわりって強いんやね。

ケータイがいかに役に立たなかったか、ボランティアより先に来た窃盗団、チキンラーメンを重宝したこと、話し始めたら止まらないかおるさんに別れを告げて、コンテナハウスの商店街へ。

(続く)