図書館に所蔵されていたマクルーハンを読んだ。
これ序盤は竹村健一さんとマクルーハンとの思い出話に終始しているのだけど、後半のマクルーハン語録はそれなりにまとまっていてイントロダクションとしては良いように思った。
とはいえ、まだ腹に落ちたわけではないので、メモ代わりに列記しておいて、読み直しつつ自分なりの理解をしていきたいと思う。
- メディアはメッセージ
メッセージを運ぶ媒体そのものが、人間や社会に影響を与える。たとえばテレビなら、テレビに固有の影響力のいうべきものがあり、それはスポーツ番組をみていようがメロドラマをみていようが、少しも変わらない。クールやホットといったものが、いわゆる「そのメディアに固有の影響力」の一例。 - ホットとクール
・ホットなメディア
与える情報量は多いが、インボルブメントを要求しない媒体
例)ラジオや映画や活字など
・クールなメディア
深くかかわり合い、インボルブメントを要求するが、表面に現れた姿は大したことのない、情報量の少ない媒体
例)テレビや電話、談話や漫画・都会の人はホットで、田舎の人はクール
文明国の国民はホットで、未開国の国民はクール - 触覚的
テレビによって人間は触覚的(tactile)になった
視覚空間が線的に結ばれた種類のものであるのに対し、聴覚の世界は、同時に全てが関連する世界である - メディア
人間すなわちメディア
(1)人間(思想・感覚)
(2)言語
(3)言葉・文字
これらはすべてメディアであり線的な考えたかをしない
人間と人間からの延長物のあらゆるものは、マクルーハンにとってはすべてメディア - グローバル・ビレッジ
テレビの普及によって、世界は1つの村にちぢまる。人間は原始時代人に回帰する
テレビによって地縁も血縁も、社会や国家という分け方もできなくなる
テレビが持つ、人にインボルブメントを要求する力は世界中を1つの村にちぢめてしまうほどに強い - メディアはマッサージなり
メディアは皮膚や神経をカバーして絶えずマッサージ(もみほぐす)している
テレビやラジオなどの電気メディアは五感全てのマッサージ
メディアは製品ではなく、マッサージ師のように「人間をもみほぐす」活動的プロセスである - エクスプロージョンとインプロージョン
機械時代、活字文化時代はエクスプロージョンの時代であり、電気時代はインプロージョン
一方的拡大と交流的拡大 - 未来の未来は現在にある
一種のピークにまで達してはじめて現象(ハプニング)に気付く
水を発見したのは魚ではない。環境は感知できない。古い環境だけが見える。
現在は古い世界をはっきりとみるための鏡(バックミラー)のようなもの - マスとパブリック
パブリックは、お互いに通じ合うことができるが各個人は全く別々の存在
マスは、人々のあいだに空間や時間が存在しなくなった。相互に関わりあわざるを得なくなる - ジョブとロール
ジョブスペシャリストは工業時代の論理
情報時代にはロールプレイヤーが求められる - 高定義と低定義
定義とは情報量の意味
写真は高定義、漫画は低定義
感覚的にもやっと分かるものがあったりなかったり。
これらの言葉の定義を分かるように努めるというよりは、実践的に取り組む際の、ものの見方を獲得したいというカンジ。
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