知っている人は知っているイベント「ダイアローグ・イン・ザ・ダーク(DID)」に行ってきた。

なんかのコラムで見つけて、オモロそう!と思い、後輩を誘って行ってみることにした。時間帯によって料金が全然違う。どうせならってことで平日に休暇を取った。(午前中は日本科学未来館に。 なんだかインテリジェントな一日だった)

紹介サイトにあるとおり、DIDとは真っ暗闇のなかを数人のパーティで探検するというイベント。視覚障害の方がアテンドをしてくれる。

実際に館内に入ると今までに経験のない真っ暗闇だった。かすかな光もない(よって、携帯の持込は厳禁)。目をつぶってようが、開けてようが変わらない。そんな中を、アテンドの方を含めて8人で探検した。3人組が二つと女性一人。3つのグループそれぞれに面識はもちろんない。薄暗い前室で自己紹介をして、チーちゃんという案内人に手引きされて、真っ暗闇に足を踏み入れた。

そんな暗闇でも、最初は必死に見ようとしていた。

お互いの位置を確認したり、ぶつかったときに謝ったりで、初対面にもかかわらず、声を掛け合う。というよりも、そうせざるを得ない。耳をすまして、足や手、杖の感覚が高まっていくのを感じる。見ようとすることをあきらめると、意外と真っ暗闇でも、スイスイとは言わないまでも、少なくとも恐怖心というのは影をひそめていたように思う。

さまざまなシチュエーション(森、民家、街中、バー)が用意されていて、チーちゃんに促されつつ進んでいく。チーちゃんは、もちろんお手のもので、暗視ゴーグルを掛けているのかと思うほどだった。バーでは、マスターがビールを注いでくれた。もちろん真っ暗闇。スムーズな作業に驚いたが、何より、ビールをグラスに注ぐ音がCMの効果音のようだった。おそらく聴覚が普段より敏感になったからだと思う。

障害者の定義

チーちゃんに助けてもらいつつ、つり橋を渡ったり、ブランコに乗ったり。その昔、読んだコラムの言葉を思い出した。

強い国を作った「人を切らない」思想“障害者集団”、スウェーデン・サムハルの驚愕

あなたはスウェーデン語が話せませんよね。ここでは、あなたが障害者なんですよ

置かれた環境によって、我々の位置付けというのも変わる。というか、あらゆる環境との関係によって、相対的に我々は自分自身を位置づけている。

そう考えたときに、「障害者」という言葉を「障がい者」とあえて置き換えることがあることを思い出す。これは、「障害者は“害”ではない」という意図なんだろうけど、そもそも違和感を感じる。「障害者」の“障害”とは、チーちゃんに対しての言葉ではなく、彼女を取り巻く環境に対しての言葉なんじゃないだろうか。

実際に、DIDのフィールドでは、我々が“障害”者だった。真っ暗闇という環境が我々をそう位置づけた。

DID効果

真っ暗闇では、みんな声をかけあう。あだ名で呼び合い、体が触れてもそれはスキンシップとなり不快なものではない。初めて会ったばかりなのに、なんだか親近感が沸いてくるし、笑いが絶えない。

みんな、それぞれのメンバーの容姿を勝手に想像している。明るい部屋から入ったにも関わらず、明確なイメージがあるわけではない。(逆に言うと、他人に対して無関心でいようとしている証拠でもある)

フィールドを歩き回って、また薄暗い部屋に戻ってくると、お互いの姿が見える。だけど、どうでも良いというか、たとえば「声」と並ぶ構成要素に過ぎないような感覚。

メンバーから言われた「目」で見た私の印象は

「オカン(東京での私のあだ名)はもっと大きい人かと思ってた」

きっと態度と声がデカかったからに違いない。 頑張れば“男前”にもなれる真っ暗闇。

あっという間の1時間30分だった。