慶應MCCが主催する「夕学五十講」に行って来ました。その日の講師は北海道大学の山岸俊男さん。テーマは“「詐欺師」に信頼社会が作れるのか?”というものでした。

まず提示された事実は

「日本人はあまり人を信じない」

ということ。これは欧米人に比べてというだけでなく、アジアの中でも一般的信頼感は低いということがデータで提示された。外旅行などをしたときに、インドや中国ではタクシーの料金をチョロまかされたりしたことがあるだけに、このデータは非常に意外だった。

これが事実としたときに、日本社会は「和」を尊ぶ「信頼社会」であるというコモンセンスはどうなるのか?それを解く鍵は

「信頼」≠「安心」

ということを理解する必要があるということでした。

信頼とは、

相手の行動によって自分の「身」が危険にさらされる状態で、相手がそのような行動をとらないだろうと期待すること。

大切なのは「期待すること」なのでしょう。一方、安心とは「相手の行動によって、自分の身が危険になる以上に、相手自身にも不利益が生じる状態」 だと理解しました。これを体現したひとつの形として「株仲間」や「マグリブ商人連合」が紹介されていました。いわゆる談合組織です。

話の軸は、安心社会から信頼社会にシフトしなければ、安心社会一辺倒ではコスト的に厳しくなっている。では、どうすれば信頼社会を作れるのか?という議論でした。

信頼社会については、昨今の企業にとっては大命題になっています。しかし、企業が考えていることは

どうすれば信頼されるか?

だと指摘されていました。これを追求すると「詐欺師」の見習いをすることになるという。

“信頼されるテクニック”=“相手に自分の言うことを信じさせる技”

というわけです。

つまり、まずは「信頼すること」からスタートだということだと思う。これはWisdom of Crowds(群衆の叡智)に通じるものがあるような気がした。Wisdom of Crowdsが成立する条件のベースとなるのは信頼関係であって、安心関係ではないと思っています。

まとめとして、 見極め能力を社会的に作り出す重要性が言われていました。それはAmazonの書評のような「評判」のシステム化ということでした。

まとめの妥当性はともかくとして、何より信頼して損することもあるでしょうけど、それ以上に得をすることのほうが多いと体感していくしかないのでしょう。 相手が協力的な人か非協力的な人かは、意外と見抜くことが出来ているという統計データも紹介されていました。自分の感覚をもっと信じても良いのだと思います。